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野菜嫌いが、美味しい野菜の生産者に

長九郎農園松永 宗憲さん

農家になるきっかけ

愛知県名古屋市出身の松永さん。大学を卒業後は、静岡県の製造業で働いていた。そんな時、リーマンショックの煽りを受けて、日本の社会や経済が一変した。結婚して2年目のことだった。

「アメリカの会社の破綻が、静岡県に影響があるなんて」と思う一方で、朝出勤して、帰宅するとバタンキュー。生活感のない暮らしを続けているうちに、「なんのために働いているのか。このままでいいのか。」と自問自答する時期が続いた。かねてより、30歳で何かをしようと考えていたが、食べるために働くなら、食の分野だと考えたものの、飲食店は向いていないことに気づく。

「昔から農業は大事だという直感があって、食べることに直結しているのは農業だと。そこで静岡や神奈川で農業を1年中やれたらいいなと、まるでお花畑のような発想をしていました(笑)。ところが、農地を借りるのが難しいということがわかりました。そこで静岡県にヒアリングに行ったら、地域の顔役の農家のところで勉強して、独立後もその方の顔を立ててあらかじめ決められた出荷先に出荷しなさいと言われて、それじゃまるで会社員のようだと悶々としていた時に、岐阜県で社会人向けに農業大学校を開催していることを知りました。応募したら受かったので、8月に会社を退職して、9月から大学が始まるということで岐阜の可児に行って研修をしました。

なぜ飛騨に?

祖父が飛騨にいて縁があったので「飛騨もいいかなと、軽いノリで決めました」と話す松永さん。
「トラクターすら乗ったことがない素人でしたから、県職員の方の紹介で、長尾農園(飛騨市河合町稲越)の長尾さんと同じ師匠の下で1年間農業を習いました。1年目のことは覚えていないくらい大変でしたが、自分で育てて自分で食べるという感動がありました。」

大震災で変わった需要

2011年。東日本大震災をきっかけに、中部以西の野菜が注目されるようになりました。「福島県の原発事故以来、様子が変わりました。群馬県や埼玉県など関東をはじめ、遠くは青森県からも注文が届きようになりました。」

丁寧に美味しい野菜を

「自分が作ったものを誰かが食べて、その人の人生を左右するという責任感もありますが、やりがいはあります。僕はもともと理系の学校出身で、答えが明確なことが好きです。ただ農業は計算通りにはいかない。それで悩んだこともありますが、わからないから面白いというのもあります。
この地域では、人が減って高齢化も進んでいます。これは直接的に自分に関わる問題ですから、これからは地域が活性化できるようなお手伝いができればと思います。いま長尾くんと飛騨の土地にあったトマトを作ることに挑戦しています。トマトに限らず、飛騨で採れた野菜を飛騨の人たちに食べてもらえるようにならばうれしいです。」

長九郎農園 松永宗憲